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『劇場版SHERLOCK 忌まわしき花嫁』初見感想

 

スクリーンでSHERLOCK見てきました。

 

▼長くて無益なネタバレ感想▼

 

 

いろいろと書きたいのですが、気になった2つの要素に絞ります。

  (※記憶が定かじゃないのでどこかしら間違えています)

 

①脚本と予告編、宣伝の共犯関係

 まさかそうくるとは! 「ヴィクトリア朝時代のロンドンが舞台」というのが、前情報として映画を観る人の頭の中にあるわけで、それを逆手にとって(いい意味で)エキセントリックな筋書きになっています。現代版とは時代が違う、番外編だと思いこんで、途中までわりと落ち着いてみていましたが、そんな生やさしいものじゃなかったです。

 

 「口に拳銃を突っ込んで自殺したはずの人間が生きてた」という強烈なデジャヴを、シャーロックとともに体験するあたり(シャーロック、「なぜ彼女(花嫁)は生きてる?」を「なぜは」と言い間違えます)からじんわりと違和感が染み出しはじめます。そういう死に方をして、しかも実は生きていた人間をわたしたちはひとり知っている。そして殺人現場に残された”Miss me?”と書いてある謎の紙、ふつうに考えたら不気味だな、くらいにしか思わないんですが、S3E3までみていた場合、違和感が確信に変わります。彼(モリアーティ)が生き返った時と同じ! と。

 そのあとにいよいよモリアーティが登場して、通常の時系列だったらこれはありえない、ヴィクトリア朝のシャーロックが現代のシャーロックの記憶を「思い出す」はずがない、つまりどこかで時空が歪んでるというのが明らかになります。シャーロックの瞑想中、221Bにモリアーティが遊びにきて、自殺の場面を再演して拳銃が火を噴いた――ときに、場面が現代に接続します、いきなり! これは激震でした。

(M「死ぬのは落下によってではない、着地によってだ」みたいな台詞のあとに、現代しゃーろっくが乗ってるジェット機が着陸する映像に切り替わったからあわや事故るのかと、ここがいちばんハラハラしました)

 

 真相はモリアーティが生きていたことを知った現代シャーロックが、彼の生還の理由を推理するために、ヴィクトリア朝時代に起きたとされる事件を空想の中で解決しようとしていた、というもの。ぜんぶ現代シャーロックのマインドパレス(精神の宮殿)の中の出来事。そうくるとは思わなんだ

 ワトソンが「しょせん19世紀だからな」的なことを言っていたり、台詞の少ないことをハドソンさんが嘆いていたり、など、なんか「ヴィクトリアンやってみた」感がつよいなかわいい、と思っていましたが、「舞台はヴィクトリア朝(ただしシャーロックの脳内に限る)」ということだったんだ…と驚かされて脚本すごいです。開いた口がふさがらない(いい意味で)。脚本のモファットさんが「小さなシャボン玉のように儚い作品」と言っていた意味をようやく理解。予告編もヴィクトリアンなシーンしか出てこないし公開前のニュースなどでもそのへん巧妙に隠されていたしまんまと引っかかりましたありがとうございました。最後のせりふ「僕は時代を超えた人間」(うろ覚え)でなんでも許せる気がします(笑)

 

 劇場版はシーズン4のエピソード0という感じなので、ぜひドラマ版最新話まで見てから観るべきだなあと。KADOKAWAさんは「(映画の前にドラマ版を)見ると楽しさ倍増!」ではなく、「お願いだから見て!!! 300円あげるから!!!」ぐらいに攻めたほうがいいと思いました。

 

 

②シャーロックを依存症から救いたい(真顔)

 シャーロックがドラッグをオーバードーズしてたよ、のシーン、「(離陸してからの)5分じゃ無理」な量とジョンが言っていて、搭乗前に摂取していたことをシャーロックも認めているわけですが、その理由を考えたら泣かずにはいられないです。ジョンとの別れに薬なしで耐えられる気がしなかった、って言ってないけど言ってる。目が。

これに気づいたとき切なすぎて寿命が縮まりました。死を覚悟して、もう二度と会えない親友にせめてちゃんとお別れを言いたくて、必死で平静を装っていたシャーロックを思うとつらいです。「できれば死は避けたい」じゃなくて、生きてほしいです。

 

 S3E3の最後で故意に人を殺してしまい、一線を越えてしまった彼について、あと正義とは何かについて考えていたところにこのシーンだったので、もうそろそろキャパオーバーです。殺人事件に興奮して、「いつか人を殺す」と一部の人からも思われてきた天才が、とうとう人を殺めてしまった。「高機能社会病質者」という自覚はそのままに、それでもその行為の動機が、ただ大切な人の幸せを守りたかっただけ、というのが切ない。自分の快楽のために人を殺すことはしない(これがいわゆるサイコパスとよばれる人々と違うところですが)かわりに、守りたいものができてしまったからこそ、ためらいなく手を汚すこともできてしまった、という皮肉な運命の歯車が回り始めていてシャーロックの今後が心配です。動機がなんであれ殺人は許されないと信じていたいですが、それでも現実ではいたるところで戦争が起きていて、ジョンも陸軍時代に人を殺していて(と言ってた気がする)、そんな現代における正義とはなにか、っていう壮大な問いを突きつけられた気になって面食らっています。

 

 依存症については、仮に薬をやめても「なにかに依存しないと生きていけない」性質が変わらないかぎり治らないのではないかと。医学的なことはまったくわからないのですが。あと、ジョンも本気で叱っていますが、これって「叱ってくれる」人がいるとますます泥沼にはまるパターンかも…と悪い予感が浮かんでしまいます。無意識でも、自分の身を滅ぼすようなことをしている人にとって、自分の身を案じてくれる人の声はある意味心地よいものなんじゃないかと、だから薬をやめろと言われるほどやめられなくなっていくんじゃないかと。医学的なことはまったく(ry

 シャーロックはマインドパレス内でヴィクトリア朝を再現していましたが、映画が始まってから彼が目覚めるまでに60分くらいかかってた(これは時間計ってないので適当です)として、実際に飛行機が着陸するまでは1分くらいの時間だったことを考えると、シャーロックはふつうの人の60倍速で生きているひとで、そんな常人とかけはなれた人にとってはこの世界は生きているだけで地獄なのかもしれないと思います。だから依存してもいい、というわけではないですが、はかりしれない苦しみがありそうで、それでも感情を殺してごまかしてきた彼にとって、ジョンというはじめて心を許すことのできる親友を得たことは、人生最大の幸運でありもしかしたら同じくらい不幸でもあったのかもしれない。S3の最後からシャーロックはアイデンティティの危機に瀕しているんじゃないかと思いますが、どうにか乗り越えてほしいです。それでまたジョンとしょうもないことで喧嘩したり仲直りしたりしてほしいです。ボーイズ大好きです。

 

 希望があるとしたら、マインドパレス内、ライヘンバッハの滝のシーンで、モリアーティを「落下させる」のはジョンだったということ。「君の役目だ」とシャーロックが言っていたのは、シャーロックにとってジョンが背中を預けられる相手になったということで、それはとても大きな変化だと思います。深読みかもですが、シャーロックとモリアーティが鏡の表と裏のような存在(ライヘンバッハ・ヒーローの「君は僕だ」発言をふまえて)とするなら、シャーロック/モリアーティの”悪”の部分を落下させ、”善”の部分を残したのは他でもないジョンだった、という見方もできると思います。S4の結末が彼らにとって幸せなものでありますように。

 マイクロフトと同じ思いです。ジョン、シャーロックを頼む。

 

 

2回目観るの確定したのでまた印象が変わったりしたら加筆します(するする詐欺)。